日曜研究室 〜技術的な日常〜

技術的な観点から日常を綴ります

電話と電子メール


   6 月 28

電話と電子メール

今から書くことは、一般的にこうして欲しいということじゃなくて、こうすると僕が喜びますというだけの話ですので、リアルで付き合いのある人にしか参考にならないと思います。
あと、ここでは僕が受ける「電話」はほぼ「携帯電話」の意です。

いきなり結論を言うと電話はかなり勘弁して欲しいです。
万全な状態で電話に出れる時間、つまり考え事も作業も誰かと会う事もその他諸々の事をしてない時間は、多くても1日の中で1時間もないです。
しかもその1時間は、1日の中で数秒〜数分程度のごく短い時間に分かれてるので、「ちょうどいい時間に電話が掛かって来た」なんてことはまずありません。

もちろんそうは言っても、数秒〜数分程度の不定期の小休止の時しか電話に出ない訳じゃなくて、出来るだけ電話に出るようにしてますので、
実際は日中の3分の2ぐらいは繋がると思います。

問題なのは電話に出れなかったときで、さらに問題なのは留守電も残ってないときです。
こういうときは基本的に「かけ直しません」。

もちろん不在着信があったことを覚えてる間に暇になればかけ直します。
また、それ以前のやりとりや状況から電話の内容が推測でき、必要であればかけ直します。

ですが、特にメールでの連絡方法を持ってる人からの伝言なしの不在着信で、その後それに関してなんのアクションもないものはかけ直しません。
再度アクションがないということは、かけてきた人にとって重要ではない話だったんだろうという判断をします。
もちろんそれで失うものもあると思いますが、個人的には得るもの(失わなくて済むもの)の方が多いと思っています。

ここから先は話を単純にするため「謎の電話に出ること」と「謎の電話にかけ直すこと」と同一に扱いますが、
今まで、積極的に電話に出たり、その逆をやってみたりして、どっちのスタイルがいいのか実験をしてきましたが、結果はあまり変わらないという結論に至りました。
結果が変わらないなら無理してでも電話に出続けるコストがかかる分、積極的に電話に出るのは無駄が多いという判断です。

良い話があるんじゃないかなと期待して電話に出続けるコストをかけるという事は、一攫千金を夢見て宝くじを買い続ける事にコストをかけるという事と同じだと思います。
それをやるにしろ、やらないにしろどっちでもいい(理解してあげるべき)と思います。

こういうと、「電話に積極的に出ないとは何事か!」と道徳的な点でお怒りの方もたまにいます。(本当にまれですが)
しかしそもそも積極的に電話に出るという事は、企業としての利益(お金だけじゃなく、どれだけユーザーに愛されるかも含む)を追求する方法の中の一つにすぎないと思いますし、
道徳的な話はそれを低コストで労働者にやらせるためのツールにすぎないと思っています。
だいたい道徳的な話をすれば、そもそも相手の都合を無視してかけなきゃいけない電話そのものの存在が非道徳的ですよね。
(電話の存在そのものが非道徳的だと本気で思ってる訳じゃないですよ。念のため。)

アメリカでは電話に出る事を明示的に仕事だと言われてない人はすぐ横で電話が鳴ってても殆ど出ないらしいですから。
どっちが正しいということではなく、場所が変われば認識が変わってしまう程度のもので普遍性は全くないという事です。

ということで、僕は積極的に電話には出ません。
(もちろんこれは個人的かつ典型的な場合においてです。場合によって変わりますし、もし就職したとしたら当然就職先の決まりに従います。)
ですので、メールでの連絡方法を持ってる方は出来るだけメールでの連絡をお願いします。
その方が僕の対応も早いと思います。
30秒空いたからといって、謎の電話に出たり、かけ直したりはなかなか出来ませんが、メールを読んで何かしらの判断をしたり反応を返す事は出来ます。

※こんなやり方じゃうまくやってけないよ?と思う方が当然いらっしゃるかと思います。
僕もこれが一般的に正しくて効率的な方法だとは思ってません。
ただ、僕の人生の目標は「同類」の希望になることであって、「同類」が「同類」のままで「同類として」成功する事が出来るということを証明したいと思っています。
「同類」とは何ぞや?というと、端的な言葉で表すと「非リア充」というのが感じとしてはそこそこ近いかなとは思うのですが、リア充という言葉が出来る遥か以前から考えてることであって、
さらに、僕自身が「リア充」でも「非リア充」でもないので、正確には全然違うのですが、
そんな風に表舞台にはなかなか出てこない類の人として、その類いの人としては特殊な事をせずに(つまり表舞台の方法論としては異常に見えるかも)、
この社会でうまくやっていき真の幸せをつかむためのうまい方法を探る、というのを人生の目的にしているので、非効率的な部分も多々あるでしょう。

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