日記

アニメとCG

アニメ中のCGへ中学生の挑戦状 – Togetter

なかなか興味深い話。
行動力があるって素晴らしい。素直に尊敬する。

私自身はアニメには詳しくないけど、テレビで放送される新作アニメの4分の3くらいは見てて、再放送とかも含めると結構見てる。
で、なおかつ趣味ではあるが3DCG関連のプログラマでもあるので、何か面白い事が書けるのではないかと思う。

リンク先にあったCGはほぼ3DCGの事だろうなと思ったので、この記事でいうCGは基本的に3DCGの事を指す。

アニメを見てると確かに「あ、これCGだな」と思う場面が多々ある。
そして数年前に比べるとその頻度も増えていると思う。

最近のロボットアニメのロボットとか、今期では特に宇宙戦艦ヤマトの戦艦を含めたメカの表現に使われるCGは凄いと思うし、CGの使いどころとして非常にマッチしてると思う。
しかしキャラクターの表現にCGを使われるとやはり違和感がある場合が多い。

そして問題なのはどちらの場合にしろ、形が綺麗過ぎる事だと思う。
CGの利用に適してるはずのメカの表現でさえ、例えばエンジンから火を吹いて発進する場合でも、火を吹いてる周辺の形状を歪ませて大きくして、大胆にデフォルメ・強調するような表現があってもいいのに、CGではそういった事はあまり行われていないと思う。(画面空間のポストプロセスでなんらかのエフェクトをかけるのは多いけど。)
しかしこれはCGの限界ではなくて、単にコストの問題だと思う。
CG技術は限界どころかまだ黎明期にある。

BIRTHという今から30年くらい前に作られたアニメ(当然手書き)があって、数年前に私も見たんだけど、これが物凄いアニメで。
動きのあるシーンではキャラクターだろうがメカだろうが超大胆に歪ませてて、リミテッドアニメながらフルアニメに匹敵する、いや知覚的にはそれを超える躍動感を表現することに成功してて、度肝を抜かれたのを覚えている。
これは言葉だけでは全然伝わらないと思うので出来れば実際に見ていただきたいと思う。
(ただし画は凄いけどストーリーは微妙なので注意)

このBIRTHを見た当時(数年前)、月1〜2回ぐらいのペースでハリウッド映画を観に行ってたんだけど、BIRTHの表現手法は(数年前の)最新のハリウッドのCGをある意味凌駕してるなと思った記憶がある。
写真として見たときに、リアルに見えるかどうかという事も重要だけど、人が見て知覚的にどう感じるかというのも大事。
表現そのものの意味を考えると、前者より後者のほうがより根本的であり、前者は後者を達成するためのいち手段に過ぎない。

現在のコンピュータの計算能力では未だあるものをあるがまま表現するだけでも精一杯で、「あるものをあるがまま表現すること」≒「物理的に正しい描画を行うこと」をいかに効率的に行うかという研究が特に欧米で盛んに行われる段階で、その先はまだあまり研究されてないと思う。

で、「その先」の研究に関してはアニメを良く知る日本が適任だと思う。
しかし今の日本は欧米に比べてCGの研究が盛んとは言えない。
人材という意味で欧米に比べて劣ってるとは思わないんだけど、日本ではCGが学問としてあまり認識されてなかったりするからか、才能ある研究者が海外に行ってしまったり、企業に囲われてしまってその成果があまり表に出てきてない状況だと思う。

研究という物は、100手先、1000手先を読んでやるものであって、100手先、1000手先を読むから当然読み間違いや、研究を進めるなかで状況が変わって最初の前提が覆ることだってある。
つまり失敗する事だって多い。
しかし失敗にコストをかけなければいいものは出来ない。(宇宙兄弟でも似たようなこと言ってたな…)
今のCGがダメだからといってCGを使うなって事まで主張するのは間違ってると思う。(リンク先の子たちは多分そこまでは主張してない。)
これはCGだけじゃなく何にしてもそうだ。
まぁ、すでに評価が確立されてるもの以外は疑いたいっていう気持ちも分からんではないけど。

でも逆風が吹けば確実に研究は先細る。
既存の研究者は「好きだから続ける」という人は多いだろうけど、子どもたちにとっての「将来その研究をやろうと思うきっかけ」を潰すのには十分だろう。

アニメにマッチしたCGは可能かどうか。
私は可能だと思う。
具体的な例でいえば、BIRTHみたいな表現を半自動でレンダリングするアルゴリズムを考えるのは不可能ではないと思うし、計算結果にゆらぎを与えて「いかにも機械で計算したようなキッチリ感」を目立たなくするのも可能だと思う。
そうなってくると、「物理的に正しい」というこれまでのひとつの尺度にとらわれない、アルゴリズムや実装の考案者の好みや考え方がこれまで以上に強く現れてくる。
つまり、元々「描いた人」から生まれていた「絵の温かみ」が、アルゴリズムや実装を考案した「プログラマ」からも生まれる事になるだろう。
だからちゃんとやれば、CGだからと言って絵から温かみが無くなるとは限らないって事になる。
(プログラマは人じゃないとか言わないでね)

話がブレてきたのでまとめると、
1. アニメにはアニメに向いた表現方法が必要
2. しかし今のCGはリアル系の表現の研究が元になってるのでアニメとマッチしない場合がある
3. それを解決するための研究は日本でやるのが向いてるし、そうなるといいなぁ
4. そのためには最低限一般の理解、もしくは理解されなくても否定されない空気の醸成が必要なのでは
5. CGだって人間が作ってる以上、温かみはある
という感じ。

最後に。
「CGが嫌い」という事は言い換えれば「今のCGではまだまだダメだ」って事になる。
だったらそのCGを自分の好きなようにより良くして欲しいなと思う。
誰にでもその自由はある。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です



※画像をクリックして別の画像を表示

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください